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学科 | 社会福祉学科 |
年度 | 2020 |
ゼミ名 | 木原 活信 |
タイトル | ひきこもりへの否定的なまなざしの解体-当事者の視座に立って- |
内容 | ひきこもりへの否定的なまなざしは、社会側の指標からひきこもりを捉えることによって現れてくる。そのため、当事者の視座に立つことで、ひきこもりを「ある自己」(存在)がこれ以上傷つかないようにするためのプロセスであると捉えることができる。一方で、ひきこもり状態にある当事者は、「普通」や「レール」からの逸脱感により、自己への否定的なまなざしを強め、葛藤の状態にある。つまり、「ある自己」を癒すプロセスであるにも関わらず、自己への否定的なまなざしによって、「ある自己」はさらに傷ついている状況にある。以上のことから、ひきこもりにおける問題の所在は、「社会参加していないこと」「就労していないこと」ではなく、自己否定感による生きづらさを抱えていることそれ自体であり、社会関係への復帰ではなく、「生きづらさの軽減」という「ある自己」を先行させたニーズが見えてくる。 |
講評 | 本論文は、「ひきこもり」という現象について深く議論した秀作となった。ひきこもりは「否定的なまなざしは、社会側の指標からひきこもりを捉えることによって現れてくる」という問題意識から出発している。そして文献的に芹沢の議論を踏襲しながら、ひきこもりを「ある自己」が「これ以上傷つかないようにするためのプロセスである」と捉えている。ひきこもり当事者は、社会一般という「普通」からの逸脱により、自己への否定的なまなざしにより葛藤の状態にあるとしている。つまり、「ある自己」を癒すプロセスであるにも関わらず、自己への否定的なまなざしによって、「ある自己」はさらに傷ついていくという悪循環のプロセスにあると分析しているが、これは鋭い指摘である。 つまり、ひきこもり問題の核心は、その当事者が「社会参加していないこと」「就労していないこと」ではなく、自己否定感による生きづらさを抱えていることそれ自体であると結論づけた。そのための対策としては社会関係への復帰ではなく、「生きづらさの軽減」と「ある自己」を先行させたニーズが重要であると述べている。 論理的考察が鋭く、総じて高く評価できるが、残念ながらまだ回復過程や援助プロセス、その介入方法までは詳細を十分に論じ切ることはできなかった。今後、さらにこの問題を自分の問題として大学院で研究を続けてもらいたい。 |
キーワード1 | まなざし |
キーワード2 | 存在論的ひきこもり |
キーワード3 | ある自己 |
キーワード4 | 葛藤 |
キーワード5 | 自己否定感 |
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