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学科 | 社会福祉学科 |
年度 | 2021 |
ゼミ名 | 鈴木 良 |
タイトル | 戦後被爆者の生活史 ー個人的・集合的経験、文化的表象の観点からー |
内容 | 1945年8月9日11時2分、長崎に1発の原子爆弾(以下、原爆)が投下され、多くの市民が殺害された。爆死を免れて被爆者となった人々は、多くの苦難を抱えながら生きてきた。76年が経過した現在でも、当時の経験が被爆者の生活に影を落とす。本研究では被爆者2名へのインタビュー調査による生活史に依拠して、戦後の長崎における被爆者の生活経験を分析し、「生活者としての被爆者」を描くことを目的とした。 本研究は第一に、アーサー・クラインマンの「患うこと」をめぐる議論を通して、被爆の経験を、1)主観的・生物医学的・マクロ社会的側面と、2)主観的側面の個人的・集合的経験、文化的表象から解釈した。第二に、ミシェル・ド・セルトーの「生活戦術」の概念を援用し、困難を迂回し、やわらげながら「なんとかやっていく」わざを編み出す能動的存在としての被爆者の姿を明らかにした。 |
講評 | 本研究は、長崎の被爆者2名へのインタビュー調査の結果を通して、戦後被爆者の戦後から現代に至るまでの生活史を当事者の視点から描いた力作である。この点で、歴史的記録物としての価値があることは言うまでもない。さらに、社会学・人類学の概念や理論が援用されることによって、戦後被爆者の1)被爆経験の重層的側面と、2)生活上の困難に対処する能動的側面が明らかにされている。社会福祉学の枠組みに囚われずに社会学・人類学の知見が活用され、歴史的現実の記述にとどまらない分析的な論述がなされている。 具体的には、第一に、医療人類学者アーサー・クライマンの「患うこと」をめぐる理論的枠組みが援用されることによって、戦後被爆者の1)被爆経験の主観的/生物医学的/マクロ社会的側面と、2)主観的経験における個人/社会/文化的文脈に関わる側面が明らかにされた。第二に、哲学者ミシェル・ド・セルトーの「生活戦術」の概念が援用されることによって、被爆者の戦後の苦境に対処する生活者としての側面が明らかにされた。 従来の被爆者研究では「被爆体験の言説分析」や「証言や語りの解釈」に焦点を当てたものが多かったが、本研究は生活上の困難やそれへの対処のあり方を社会と文化の文脈に位置づけながら分析された点に研究上の意義がある。また、ソーシャルワークの方法の観点から当事者研究がなされてきた社会福祉学領域において、生活上の困難の認識枠組みの問い直しをもたらし、原爆というテーマを当事者研究の一つとして位置づけた点で重要である。 今後は、ジェンダー、浦上の地域性や階層性など特定の分析対象に焦点を当てながら、他のインフォーマントとの比較を通して、被爆をめぐる社会・文化の多層的な構造を解明する研究へと発展することを期待したい。 |
キーワード1 | 長崎 |
キーワード2 | 被爆者 |
キーワード3 | 生活史 |
キーワード4 | 患うこと |
キーワード5 | 生活戦術 |
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