詳細
学科 産業関係学科
年度 2021
ゼミ名 三山 雅子
タイトル 給付型奨学金と日本の貧困化
内容 現在、日本では奨学金が社会問題となっている。それは日本の貧困化や学費の高騰、奨学金制度の変化など様々なものが重なって起こっている。終身雇用と年功序列型賃金を特徴とする日本型雇用が維持されていた1990年代半ばまでは、大学進学者の家庭の多くは子供の学費を支払うことが可能であり、奨学金受給者は全学生のなかでは、少数派であった。しかし、経済状況の悪化により奨学金受給率は一気に上昇した。そのことから、奨学金返済に困窮する人々が増えた。また、それにより学生を支援するために作られた奨学金が、学生を苦しめる一因となってしまっている。日本の平均所得は下降傾向にあり、学費は高騰しているのに奨学金の大半が有利子で、金融事業化してしまっている現状は問題視すべきであると考える。その現状を打開するためにも、国は給付型奨学金や救済制度を充実させるべきである。また、奨学金を借りる側もこの現状を理解すること、理解できる場所や機会を増やすことが必要であると感じた。日本の貧困化を止めるためにも制度の改革や国民の意識の変化が大事であり、「学問の自由」を実践する大学を実現するためには、奨学金問題の解決が必要不可欠である。
講評 卒論を読んで第一に感じたことは、卒論が二極化しているということである。卒論執筆者本人が知りたい、解決したいと考えているテーマを扱っている卒論は、テーマ決定に手間取っても、一度テーマが決まったならば進捗は早かった。もちろん、卒論検討のゼミでは、それでもここはなぜこう考えるのかとか、こういった視点から考察した方よいのではないかなど、指摘すべきことは多々あった。しかし、執筆者本人が切実さをもって書いている卒論は、このように執筆者本人と教員とのあいだで卒論を通して対話することが可能であった。それに対し、なぜそのテーマをとりあげるのか、テーマ決定があいまいである場合は、進捗が遅いのみならず、手軽にアクセスできる文献にあたり、一通りまとめるのみで終わりがちで、内容以前の問題をクリアーすることに時間を取られていた。
どうしてこのような違いが生じるのか。はやはり、大学で学ぶということに対する卒論執筆者本人の向き合い方の違いを反映しているのであろう。学ぶことをあくまでも机上のことと考えるか、机上で知ったことが他ならぬこの自分に降りかかることでもあると認識するかの違いである。皆さんには知ることは自分を守ることでもあることを知っておいてほしいと思う。
辛口の講評を書き連ねてしまった。しかし卒論を読むと、若いということ、新しい時代しか知らないということはリスクはあるものの、中高年はもはや持ち得ていない高感度のアンテナを保有していることでもあるということを、強く感じさせられもした。今年の卒論では、親ガチャやメンバーシップ型雇用に付きものの転勤、女子学生が一般職を進んで希望すること、オンライン勤務、奨学金問題等が取り上げられていた。まさに今、社会を揺るがしている問題ばかりである。こういった事柄をテーマとして設定する点に、今の20代のアンテナが現れていると思う。ともあれ皆さんの未来が光に満ち溢れていることを強く願っている。
キーワード1 給付型奨学金
キーワード2 非正規雇用
キーワード3 ブラックバイト
キーワード4 日本学生支援機構
キーワード5  
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