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学科 産業関係学科
年度 2021
ゼミ名 三山 雅子
タイトル 親ガチャで人生が決まらない社会に
内容  本論文では、近年SNS上で話題に上がる言葉のひとつである「親ガチャ」に着目し、親の貧困が子どもにどのような影響を与えるのかについて分析した。子どもの貧困から始まり、児童虐待との相関関係を述べつつ、そこから見えてくる子どもの発達における影響を明らかにした。数字や子どもの顔つき、身なり等から判断しやすい学力や健康面には今回着目せず、性格や行動特性に焦点を当てた。何故なら、子どもが将来社会や集団の中で他人と協働する上でより重要になるのではないかと考えたためだ。また、それらは乳幼児期から形成されるため、幼児教育や家庭教育は子どもの人生において非常に重要な役割を果たすと言える。本論文ではイギリスとフィンランドの事例を紹介し、日本との違いについて考察した。
 現代日本において貧困や児童虐待は外から分かりにくく、見えにくいものとなっている。そのため、政府はひとつひとつの家庭に一歩踏み込んだサポートを行うべきだと考えた。子どもたちが、生まれた家庭によって夢や目標を諦めることがないような社会の実現を目指したい。
講評 卒論を読んで第一に感じたことは、卒論が二極化しているということである。卒論執筆者本人が知りたい、解決したいと考えているテーマを扱っている卒論は、テーマ決定に手間取っても、一度テーマが決まったならば進捗は早かった。もちろん、卒論検討のゼミでは、それでもここはなぜこう考えるのかとか、こういった視点から考察した方よいのではないかなど、指摘すべきことは多々あった。しかし、執筆者本人が切実さをもって書いている卒論は、このように執筆者本人と教員とのあいだで卒論を通して対話することが可能であった。それに対し、なぜそのテーマをとりあげるのか、テーマ決定があいまいである場合は、進捗が遅いのみならず、手軽にアクセスできる文献にあたり、一通りまとめるのみで終わりがちで、内容以前の問題をクリアーすることに時間を取られていた。
どうしてこのような違いが生じるのか。はやはり、大学で学ぶということに対する卒論執筆者本人の向き合い方の違いを反映しているのであろう。学ぶことをあくまでも机上のことと考えるか、机上で知ったことが他ならぬこの自分に降りかかることでもあると認識するかの違いである。皆さんには知ることは自分を守ることでもあることを知っておいてほしいと思う。
辛口の講評を書き連ねてしまった。しかし卒論を読むと、若いということ、新しい時代しか知らないということはリスクはあるものの、中高年はもはや持ち得ていない高感度のアンテナを保有していることでもあるということを、強く感じさせられもした。今年の卒論では、親ガチャやメンバーシップ型雇用に付きものの転勤、女子学生が一般職を進んで希望すること、オンライン勤務、奨学金問題等が取り上げられていた。まさに今、社会を揺るがしている問題ばかりである。こういった事柄をテーマとして設定する点に、今の20代のアンテナが現れていると思う。ともあれ皆さんの未来が光に満ち溢れていることを強く願っている。
キーワード1 子どもの貧困
キーワード2 ひとり親世帯
キーワード3 児童虐待
キーワード4 幼児教育
キーワード5  
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