詳細 | |
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学科 | メディア学科 |
年度 | 2022 |
ゼミ名 | 竹内 幸絵 |
タイトル | 『犬神家の一族』から導くお金と愛の相関 ―「お金よりも愛」は真実なのか― |
内容 | 「お金よりも愛」という言葉があるが、それは真実なのだろうか。お金を多く持っていた方が幸せな生活を送れるのではないだろうか。私は『犬神家の一族』でその真実が表現されているのではないかと考えた。 まず『犬神家の一族』は世間で認知されるミステリー・探偵小説ではない。それよりも社会へのメッセージ性や主張としての要素の方が強いと言える。「愛こそ人が一番大切にするものである。」という主張を大衆へ向けて伝えようとしている作品である。そして作者である横溝正史は『犬神家の一族』を通して愛よりもお金が重要視されている社会に対してのアンチテーゼを唱えていた。物語が起草され掲載された当時人々は必死に幸せを守ろうとしていた。しかしいつしかそれはお金がある事が幸せであると考えるようになった。それは『犬神家の一族』の人々と同じ考え方であったのだ。お金のために愛が抑圧される社会に悲観し、この作品を発表したのである。 |
講評 | 彼が1976年に書かれたミステリー映画の分析をしたい、と卒論のテーマを選んだ時、正直言ってかなり驚いた。それまでに私が知る彼の興味や印象とはかけ離れていたからだ。しかもなぜこの映画を選ぶのか、と問うと「愛と金」を考えたいからだという。 確かにこの作品「犬神家の一族」は日本社会に大きな影響を与えた映画である。彼は予備調査段階で、にもかかわらず、この作品を分析した先行研究がほぼ存在しないことをつきとめ、さらに研究意欲を強めていった。 「犬神の呪い(犬神持ち)」という西日本の因習を調べ、1970年当時の映画雑誌を調査し、研究は自由奔放かつこれと思ったら深堀していく独特な方法をとった。これは筆者のキャラクターそのものといえる。ミステリー作品なのに最初から相思相愛にあることを明かしている矛盾をつき、横溝自身の家系図(横溝自身の複雑な育ち)も調査し、「犬神家の一族」の「愛」への拘りを読み解いていく。そして筆者は最終的に、幼少期からの純愛を基準に結婚が成就するという展開と、主軸にある狂気ともいえる松子の母性愛から、この作品に流れるのは圧倒的な純愛へのこだわりである、と確信を持った。彼の結論は、この映画の主題は一般的に理解されているおどろおどろしい呪いのミステリーではなく、ジャンルを超えた愛の映画であり、それは当時の(愛を軽視する)社会へのアンチテーゼだったのだ、というものである。 卒論発表会では「自分が『犬神家の一族』の最初の研究者になる、そこに意義がある」と豪語した。研究初めのその志は、完遂したのではないだろうか。思いの限り調べつくして、他の誰よりもこの件に関しては自信がある、と言い放つ。そのような姿勢は、仕事においても必ず必要とされると私は思う。個性的なキャラクターの彼が、卒業後も、他の誰も気にしないこと、気づかないことに拘りぬいて大成してくれることを信じている。 |
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