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学科 メディア学科
年度 2022
ゼミ名 竹内 幸絵
タイトル 宮藤官九郎作品における「死」の意味 -『俺の家の話』を例に-
内容 宮藤官九郎の作品には登場人物の「死」が多く描かれてきた。笑いやユーモアが作品の中心としてある宮藤官九郎の作品に、なぜ「死」が入り込んでくるのだろうか。そして、「死」を描きながらも悲観的ではない理由を探った。本論文ではまず、「死」が持つ社会イメージと、主人公の「死」が描かれる作品を例に、「死」が私たち視聴者にどのような印象を与えるのか、分析をした。その上で2021年に放送された宮藤官九郎脚本のテレビドラマ『俺の家の話』で主人公が死んでしまった最終回を視聴者はどのように見たのか、リアクションの分析から宮藤官九郎の作品における「死」の意味を考察した。「死」は終わりを示すものではなく、人生の一部であり、「普通」という文脈における一つの現象である。過去の作品からも一貫して伝えてきたこのメッセージこそが、宮藤官九郎作品が「死」を描きながらも悲観的ではない理由だとここで結論づけた。
講評 宮藤官九郎のドラマに唐突にあらわれる「死」。そこでは避けるもの、忌むべきものであるはずの「死」が、さらり、と描かれる。筆者はこのドラマを分析したいと取り組みを始めたが、調査はまず死生観の変化という大きな課題から始まった。彼女は、前近代には循環の中に「死」があり、輪廻転生やよみがえるための「死」という思想が共同体のなかにあったと読み解く。そこで「死」は忌み避けるものではなかったのだ。しかし近代以降「死」は恐ろしいものになった。これは近代の「死」の個人化である。これらの知識を先行研究の読み込みから得、「死」について考察を深めたうえで、筆者は主題である宮藤の作品の分析に入っていった。
従来の一般的作品の中では抗えない運命として「死」が描かれてきた。そしてそれが物語の作品評価の中心となっていた。しかし宮藤のドラマでの唐突な「死」は、それとは大きく乖離している。「死」は作品の評価を左右するものではなく、「死」が物語の結末でもない。「俺の家の話」には「死」への客観性があり、悲観的になりすぎない、隣にある「死」。「死」は終わりを示唆するメッセージではなく、人生の一部であり、普通のこと。そういうもんだ、という作者のメッセージを筆者は読みといた。宮藤の作品にある死を評価するために筆者が選んだ言葉の深い情緒に、指導者は幾度も感心させられた。深い作品理解をそこに感じた。だからこそ、研究の終盤に映画サイトなどにある一般の視聴者のリアクション分析に取り組んだ際、自身の考えと異なる評価が並ぶことへの違和感が生じたのだ。それは時代が追い付いていないということなのかもしれない。しかし宮藤自身の意図は、本論文にある筆者の考察の通りだったと私は考えている。  
独特の価値観と存在感、そして繊細さを持ち合わせた彼女が選んだテーマが「死」であったことに改めて感慨を覚える。1年生の時から頼りにして来た彼女の卒業後のさらなる活躍にエールを送る。 
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