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学科 | 産業関係学科 |
年度 | 2009 |
ゼミ名 | 三山 雅子 |
タイトル | 日本の長時間労働の現状とその是正に向けて |
内容 | 日本は長時間労働が問題になっている。1日12時間以上働いている労働者も存在し、個人だけではなく社会的な問題となっている。また、「過労死」や「過労自殺」といった言葉があるように、その件数も増加傾向にある。また近年では働き方が多様化したため、以前とは違ったタイプの長時間労働者が存在している。そこで本稿では、日本人が何時間くらい働いていて、世界の先進国とは労働時間にどの程度差があるのかを比較し、長時間労働のメカニズムを検証する。また、長時間労働が及ぼす個人と社会への影響を考察することによって、長時間労働問題が決して他人事ではないことを再確認したい。そして、個人の問題としてだけではなく社会的にどのように長時間労働に対して取り組むべきなのかを検討し、本当の意味でのワークライフバランスの実現へ向けて提言を行った。分析より明らかになったことは、ワークライフバランスは、「会社」、「法律」、「個人」の3つが確立して初めて成り立つものであるということである。しかし、「会社」、「法律」はすぐには実行に移すのは困難であり、そのため「個人」の意識変化から長時間労働抑制の一歩が始まるということである。 |
講評 | 暮れの提出を経て、一昨日ようやく卒論の口頭試問が終了した。日本の貧困問題、非正規労働問題、女性雇用とワークライフバランス、日本農業の自立など、今年も若さというアンテナが捉えた時代を反映したテーマが並んだ。テーマ設定それ自体から、若くはない私はいろいろと学ぶことが多かった。教員はこのようにも学ぶのだということを、学生の皆さんに教えてもらった。以下、私の講評を書いていこう。 卒論を読むなかで感じたことの一つは、データの吟味が足りないということである。自己の主張を証明するデータを捜すことのみに気を取られ、データーの質に対する吟味がおろそかになりがちであった。したがって、そのデータをどのように使用したならば自己の主張の正しさを証明できるのか、論文の論理の構築が今一歩であるものも見受けられた。 卒論を読んでいて感じたもう一つの感想は、歴史的パースペクティブから卒論のテーマと格闘するという視点が弱いということである。しかし、これは別に卒論に限らない。授業で学生の皆さんの意見を聞いたり、試験答案やレポートを読んでいても常々感じることである。なぜある事柄がそのような状態で、そこにあるのか。そのことにはもちろん問題がたくさんある。早急に解決が求められることも確かである。しかし、そのことがそうであることには何らかの理由があったのであり、そのことがそうなっていることを、歴史的パースペクティブの中で考察することなしに、今後の解決策を考えることはできないであろう。また、そのような長い時間軸での考察なしに作られる解決策は長くもたないものにしかならないのではないか。皆さんはどう考えるであろうか。 |
キーワード1 | 長時間労働 |
キーワード2 | 過労死 |
キーワード3 | ワークライフバランス |
キーワード4 | |
キーワード5 | |
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