創造教育 活動報告

2008年度 社会学科 鵜飼ゼミ 卒業論文 相互批評集

NY著

安心できない社会・信頼できない人々 ―個人情報保護法からみる日本社会の信頼―

「個人情報保護法」という法律が施行されてから,時折個人情報保護に対する過剰反応のニュースを見る.たとえば,国勢調査の回答拒否の増加や,各地の小学校での緊急連絡網への電話番号の掲載拒否などだ。人々のプライバシー保護意識の高まりから,自分の個人情報を相手に提供しないことにより,様々な問題が起きている。

なぜ個人情報の過剰反応のような問題が起きるのか。我々日本人は,それほど人を信頼できないのだろうか。この論文では,安心社会が崩壊した現在の,「日本社会における信頼」について考える.まず第 1章では,本論のテーマとなる私の疑問を紹介する。第2章では,「信頼」という曖昧な概念を定義・分類し,安心社会と信頼社会について解説する。第3章では,信頼社会の例としてインターネットを紹介する.第4章では,個人情報保護法について説明し,人々が過剰反応する理由を論じる。第5章では,日本社会において,再安心化が進みつつあること,そして,日本社会が信頼に満ちあふれた信頼社会になるためにはどうすればいいか論じる。最後に,第6章で本論をまとめる。

[キーワード] 信頼社会 安心社会 個人情報保護法 再安心化

NY論文への批評

近年、あらゆる方面で個人情報保護の必要性が盛んに叫ばれている。本論文では、個人情報保護法や taspoの導入など、タイムリーな話題を「信頼社会」と「安心社会」という概念を用いて説明されている。特に、安心社会の崩壊と社会的不確実性の増大にともない、現在の日本は、社会が再び安心に満ちた安心社会を志向する「再安心化」と呼ぶべき方向に向かっているという仮説は、新鮮で面白い。
ところで、本論文では、安心できない社会が形成され、信頼できない人々が増えた原因は、他者の信頼性を見抜く能力である「社会的知性」が元来、日本人に欠如しているからであるということを前提に、議論が展開されている。また、日本人の社会的知性が育たないのは、学校教育に原因があり、信頼に満ちあふれた社会をつくるためには、何よりも学校教育の改善が必要であると主張されている。果たして本当に、議論の前提である「社会的知性」が日本人に欠如しているのか。また、もしそうだとすれば、それはなぜか。これらの問題を、もう少し詳しく説明する余地があるのではないかと考えられる。(GT)

私たちが普段何気なく使っている「安心」や「信頼」といったキーワードを定義して、その言葉の持つ意味をはっきりさせたことによって、現在の日本社会がどのような状況であるのかを明確にまとめられていると感じました。また、言葉を定義する際、身近な例をいくつも挙げることによって読み手が容易にイメージし理解できるような工夫した説明がなされていたと思います。ただ、班行動という点でしか学校教育について他国と比較していなかったので、日本の学校教育が日本人の社会的知性が欠如していることの要因であるという結論にいまいち説得力がなかったです。また、社会のしくみを整えることが再安心かに繋がると主張していましたが、しくみが発達すれば、同時にそれをかいくぐるような手段も発達するのが世の常であり、あまり効力はないように考えます。(KY)

考えたり、書いたりすることへの潔癖感が、NY君の長所でもあり短所でもある。「言葉の病気」でいったん自縄自縛に陥るんだけど、この論文では、書いているうちに言葉で遊ぶ余裕が出てきました。あまり現実的でないとしても、研究者としては大きな才能だと思います。(UK)

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