卒業論文(卒業研究)には大学教育、さらにいえば 16年間の学校教育の集大成という大きな意義があると思うのですが、基本的には学生と教員の間のやりとりの中にとどまってしまい、せっかく面白い知見やアイデアがたくさんあるのに、もったいないことと常々感じていました。
「教育GP」の実施を機に、学生自ら研究して論文を書くだけでなく、お互いの論文を読み、批評し合うことで、自分の視野を広げ、文章表現を磨けないかと、相互批評を書く試みを始めました。本来はもっと早くから、2~3度繰り返せばよかったと反省していますが、今年度はまず一歩を踏み出したところです。以下、ゼミの卒論集から(個人名をイニシャルに変えて)本人による要約、ゼミ生2名による批評、教員による(ひと言)講評を抜粋して掲載します。
卒論の目標
まずは何かを論ずるアイデアが必要です。素朴でもいい、借りものではない自分の問題意識。
つぎに、アイデアを表現する論文という形式に則ること。論文とは、随筆にあらず、感想文にあらず、記録にあらず。1)まず、自分のアイデア、そう考えた経緯をわかりやすく説明する。2)それに類することを他の研究者や論者はどのように論じているのか。それに対して、あなたは賛成か反対か。客観的に丹念に論点を整理する。3)自分のオリジナルな調査や考証を展開すること。既に出された論点に、自分が付け加える論点や反対する論点は何かを示す。論文にとって最も重要なところです。4)最後に自分の論文をふりかえり、オリジナリティと客観性について再検討する。他の論者に読まれても、失礼な内容になっていないか、テーマに対して充分に誠実であるかどうかを確認する。
その他、表紙、目次、章節の構成、参考文献・資料の一覧表記、本文の内容を補う注などの論文に必要な要素が揃っているかどうか。もちろん、誤字・脱字、ワープロの誤変換がないか。
以上の「論文」という形式を守り、自分のアイデアや問題意識を表現することが、大学教育の集大成としての卒業論文の目的です。
タイトル一覧
全体への講評
卒論というと、ひとりひとりが文献や資料を読み、あるいはフィールドワークやアンケートをして、論文をまとめていくものと考えがちですが、もちろんそれも大事ですが、私が重視しているのは、ゼミの中でみんなに自分の論文のアイデアを発表すること、あるいは仲間からの発表に対するコメントを聴くこと、そして、それを受けて、自分の論文をより良いものにするため努力することです。そんなセンスを互いに磨いてほしいというのが私の願いでした。
就職活動など、それぞれ人生の転機といってもよい大変な時期に、また世界と社会の全体も激動の時代に、こうやって 19名が一人も落ちこぼれることなく、毎週のゼミに集い、私の願いを理解してくれ、卒論を書き上げたことは、そのことじたいに大きな意味があると思います。
ゼミでは、全員の卒論を収録した卒論集をつくりました。なんだか電話帳(あまり見かけなくなったけど)みたいな分厚さになりましたが、できればずっとどこかに置いて、 15年後、30年後に読み返してくれたらうれしいです。(UK)